「教育と愛国」から見えた教育

12月17日、藤沢ミナパークにて、教科書について考える市民の集い(藤沢の教科書・採択問題にとりくむ会が主催)の学習会に参加しました。

2011年7月、藤沢市教育委員会は中学生社会科の「歴史」「公民」で従来の歴史認識と異なる記載がある「育鵬社」の教科書を採択しました。全国で使用している市町村は1割にも満たない教科書です。藤沢市では熱心な市民活動の積み重ねによって、ようやく教科書が変わることができました。その市民団体が、今話題のロングラン上映となった映画「教育と愛国」を監督した斉加尚代氏(毎日放送ディレクター)を招きお話をいただきました。映画「教育と愛国」では、いま教科書に何が起こっているのか。丁寧な当事者の取材から、教科書問題の本質や社会の在り様が、見事に描き出されている内容です。今回の学習会は、来年度の小学校採択に向けて、みんなで一緒に考える良い機会となりました。

国民統治のための教育は必要でしょうか。国家社会の形成者を育成する教育では、競争原理が働き、生き抜く教育となりがちです。教育は個性を認め生き合うべきところです。2006年教育基本法の改定から少しずつ浸透してきた生きづらさが透けて見えるようでした。国家は人の上に立っているものではなく、主権在任であるべきですが、あるべき憲法の枠組みが崩れかけています。そして、自己責任で済まされてしまう社会が形成されているように感じます。

某著名な大学教授は、映画の中で「歴史に学ぶものはない」と言いきっており、ちゃんとした日本人をつくることを目指していると言います。しかし、日本人は苦い戦争体験をして、もう二度と同じ過ちを犯さないために、平和憲法をもって自由と民主主義を歓迎したはずです。平和を堅持するには、市民による不断の努力が必要であることがよくわかります。

疑問に感じることの大切さ、思考停止にならない教育が必要です。学習の基本は「なぜ」から始まって、主体的に考えられる子どもが育成されます。私が私でいられる社会を目指し、かけがえのない自分として自信が持てる人になるべきです。先生はトップダウンでロボットにならず、葛藤して悩むことの方が、よっぽど良心的で素晴らしい教育となるでしょう。「教えるとは、希望を共に語ること。学ぶとは誠実を胸に刻むこと」最後に投げかけた言葉が大変印象的でした。教育と報道は、多くの人に伝えることができます。あらためて、その影響力と重要性を考えさせられました。