大阪市西成地区を歩く~子どもの里
こどもの里
↑↑西成では、よく見られる看板
阿修羅さんの案内で、日本一の日雇い労働者の町である西成区(別名は釜ヶ崎、あいりん)を見学しました。生活保護受給率の高さ、暴動が起きることでも有名です。最近は警察の取り締まりが厳しくなり、高齢化の影響もあって、石を投げるような暴動が起きていません。
日雇い労働者は少なくなっている代わりに、外国人労働者(特にベトナム人)や老人施設が多くなりました。新しい西成警察署は、投石による窓ガラス破損対策の防護柵、犯人捜し用のサーチライトがついていました。更に、西成専属の機動隊が付いていることに驚かされました。
日雇い労働者、困難を抱える人、外国人労働者等、誰でも受け入れてくれるのが西成地区の特徴です。ミサに出れば必ず食事がもらえる教会があり、公園の炊き出しをする団体など、一日一食は町のどこかで食事ができ、支え合って生きています。日雇い労働者の雇用保険など社会保障を持つ人に変わり、この数年で個人事業主の増加で働く権利が保障されない人が多くなりました。以前は貧しくても集って見えていましたが、日本社会と同じように、見えづらく孤立している人が増えている現状がここにもありました。
「子どもの里」
設立者である荘保共子さんを講師に「子どもの里」で、設立の話から今に至るまでの取組みについて聞きました。子どもの権利を大切にしながら活動している現場です。映画「さとにええやん」の舞台でもあります。
「子どもの権利条約」とは、子どもの基本的人権を国際的に保障するために定めた条約で、1989年に国連で採択され、1994年に日本も批准しました。しかし、日本は法制化までに至らず、子どもが権利の主体へと転換された社会とは言えません。そこで大阪市西成区にある「こどもの里」を訪問しました。貧困・虐待・孤立などの困難を抱える親子を支え、地域の中で向き合い子どもたちを地域社会で育てています。
【多様な子どもが集える「場」が大切】
「こどもの里」は、1977年に子どもたちに健全で自由な遊び場を提供する目的で、ミニ児童館「子どもの広場」を開設しました。当初小1〜3年生の子どもたちに声をかけたところ、その子たちの兄弟姉妹や中には赤ちゃんをおんぶした子まで遊びにきました。来てくれた子ども達を断ることができず、いまでは赤ちゃんから高校生までの多様な子たちが集う場所、学校や家庭以外で信頼できる大人に見守られながら過ごすことができる居場所になりました。
【子どもの声から様々な事業が展開】
遠出する日雇い労働者の子どもの宿泊預かりがきっかけとなり、家庭が安全な場所ではない子や様々な事情で行き場のない親子の緊急避難の場となりました。「子どものいのちを真ん中に・子どもの声を聞き・子どもたちのニーズに応える」ことで活動が広がり、現在は、18歳以上になった若者の居場所づくりや自立支援のステップハウス事業等多数の事業に広がっています。
【子どもの意思を一番に考えよう】
「子どもの困難は親の困難である。ヤングケアラーの問題にも結びつく。」「子どもを家族や友だちがいる地域から完全に引き離してはいけない。(衣食住が足りたとしても)子どもは『親から見捨てられた』と思いひどく傷つけ不安にさせてしまう。」と荘保さんは言います。DV等により子どもを保護しなければいけないケースもありますが、保護者の仕事や健康状態等の背景を見つめることも大切です。困りごとを抱える子ども自身だけでなく、その子の親や家族を支え、子どもの生活する場を変えずに、家族丸ごと地域で支える柔軟なしくみが必要です。