不登校について考えよう~シリーズ第2弾~
令和4年度小中学校の不登校児童生徒は、全国で29万9千件、藤沢市は988件で、ともに過去最多です。そこで、前回は、保護者の居場所から見えてきた課題を共有しました。不登校は、当事者にとって命の問題であり、家族や社会の中で孤立させない大切さを学びました。今回は、教員の立場からの視点、データに基づいて分析を通して、元教諭でもあり藤沢市議会議員の竹村雅夫氏からお話をいただきました。「不登校」から、忙しすぎる子ども、忙しすぎる先生が見えてきます。これは、社会の縮図ともいえる課題ではないでしょうか。
【不登校はなぜ増加しているのか】
なぜ行きたくなくなるのか、行けなくなるのか。「たくさん居場所ができて良かった」ではすまされない問題であり、原因を考えることが大切です。様々な要因があり特定はできませんが、学校側から見ると無気力・不安が51.6%であり、つかみきれません。不登校の激増していく背景を考えると、平成24年を境に、精神疾患で離職した教員、いじめ認知件数、子どもの自殺件数も増え始めています。では、この時期には何が起こったのでしょうか。OECD学力調査で、全分野で学力低下が示され、「ゆとり教育」批判が起こりました。その結果、分析方向を間違えた新学習指導要領が始まりました。「ゆとり」ではなく「学力向上」が重視され、授業内容は1割近く増えました。ある小学校の高学年は、月曜のみ5時間授業で、あとはすべて6時間授業です。疲れている6時間目の科目は、以前は学活やクラブ等の軽めでしたが、いまや社会や算数などの重たい教科までおこなわれます。覚える内容を増やせば学力は向上するのでしょうか。先生の授業持ち時間が1割近く増え、先生は増えてません。これでは、授業準備の確保、教育論を語り合う時間、新人教諭の相談支援などができず、教師の成長にもつながりません。さらに、余裕がないために、子どもたちに丁寧に寄り添いたくてもできない状態に陥りやすくなります。このような負の連鎖により教師の人材不足は深刻で、藤沢市は、年度初めから人員配置不足が生まれ担任が見つからない、1年間で3人の担任になる場合も出ています。
【競争主義と不登校】
「ゆとり教育」によって学力が低下したかの如く批判されましたが、本当にそうでしょうか。全国学力テストの結果をみれば、「ゆとり教育」で学んだ期間が最も長い生徒の点数は一番良かったのです。しかし、早計に総括した結果により、間違えた分析の方向に進んでしまったと言えます。よって、全国学力テストを学校別成績公表して、競い合わせるようになってしまいました。また、学校選択制がすすみ、支援級にすすめるようになり成績を上げようと必死になった例もあります。足立区の教育委員会では、すこしでも成績結果がよくなるように分離教育が進み、学校ぐるみで不正を認める学力テストになってしまいました。子どもたちの学習状況調査をして課題検証し改善を図る目的のはずの全国学力テストが、成績結果ばかりを気にしてしまうようになってしまいました。全国学力テスト1位秋田の公立校は学校が楽しい、塾も行かない(町にない)、本当の「ゆとり教育」です。また、勉強がわからず辛い思いをしている子をなくす取組みで学力を上げた大阪府茨木市もあります。学校は「競争」ではなく「学び合い」です。国連子どもの権利委員会は、過度に競争主義的な環境による否定的な結果を避けることを目的として、学校制度および学力に関する仕組みを再検討すること日本へ勧告しています。それは、いじめ、精神的障害、不登校・登校拒否、中退および自殺につながることを懸念していました。まさに、その通りになってしまったと言えるでしょう。
【不寛容な学校・包み込む学校】
家庭の社会経済的背景と学力がほぼ比例しています。スタートラインに差があるのは当たり前で、だからこそ公立小学校では競争を持ち込んではいけないのです。差があるから結果は見えていると思わせる、支え合わない教育環境は、公立校のあるべき姿ではありません。誰もが社会生活をするうえで、基礎的な学力を身につけられるのが公立校であり、豊かで持続可能な社会へ続くと考えます。あるべき「器」に子どもたちを適応させようとする教育ではなく、インクルーシブ(包み込む)教育の意義を問い直すべきときですが、文科省は「ゆとり教育批判」のトラウマから脱することができず改善する方向性が見られません。社会の構成者であるひとり一人の大人が、何を求めるのか問われる時ではないでしょうか。「今だけ金だけ自分だけ」、競い合い、効率を優先する新自由主義な社会にとらわれず、成熟した社会へ向けて、教育環境を整える必要があります。学校崩壊を目の当たりにして、対話を通じた相互理解のために声を上げることも大切です。ゆとりある教育現場になるよう働きかけていきます。