子どもの視点から放課後を考える

 

日本総合研究所上席主任研究員で、専門は少子化対策、保育・教育政策、小学生中学生の母親でもある池本美香さんのオンライン学習会に参加しました。

 

学童保育の現状

学童保育は、全国平均で小学1年生は、4割が通っているのが現状。神奈川県は全国一女性の就業率が低い67.6%。

開所時間は、18時30分~19時の49.3%、18~18時30分22.4%、17~18時20.0%、19時以降7.5%学童保育の時間が長くなり、働きやすくなったと言われる。確かに大人の都合から考えれば便利になりましたが、子どもにとって本当に居心地の良い放課後になっているのだろうか。未就学児までは働く親の時間調整があるが、学童になると調整がほとんどなくなり、保護者や子どもの負担は増していく。縦割りで児童クラブが、文科省の包括的な輪の中に入っていないことが問題であり、土俵にも挙がっていない状態で考えているように見えてならない。

 

子は親を見て学ぶ

今の母親世代、自分の都合を優先しがちになり、子どものことを考える力が弱くなったと感じている。なぜか。子どもを思う気持ちは大なり小なり個人差があるものであり、育つ環境が違うのであれば仕方ないことではないか。ディズニーでは、主人公の母親、継母が演じることが多いが、元になる童話においては、実の母親が通例である。夢を描くディズニーも大好きであるが、現実とは違うことを認識しておいてほしい。今の日本では、核家族化が進み、希薄なご近所付き合い、男女格差を考えれば母親への負担が大きくなるばかり。時間や金銭に余裕がなくなれば、気持ちにも余裕が生まれてこない。子どもの立場に立って考える力や体力もなくなるだろう。子どもや若者たちは母親の姿、子育て中の女性を見ている。大変にしている女性ばかりでは、子どもを持つことへの未来は遠のくばかりではないか。

 

国連の子ども権利条約から30年

1989年、国連の子ども権利条約により世界では子供を中心においた政策、制度化が進んだ。その頃の日本では出生率の低下、少子化問題に注目が集まりすぎ、重要視されることなく30年近く経ち、課題は解決できないまま、むしろ悪化している。

日本は義務ばかりで、人権の概念がなかなか根付かない。義務教育とは学ぶ義務ではなく、学ぶ権利があることが正しく、混同しないようにしたい。

意見を言うことが歯向かう、モンスターペアレントとして扱われる傾向があり、委縮する。確かに迷惑なことばかり言って教師の本来の仕事に影響を及ぼす行為は迷惑だが、意見表明する親は必要である。子どもを見ていないのではなく、子どもの代弁となって伝えているのならば、子どもを思う教員や保護者にとって有益なことである。

学童保育などで考えがちなのが、お金を払えば質を求める、タダだと質が悪くても文句言えない。権利の視点から考えればそうではないのではないか。

 

幸せランキング上位国から考える

イギリスは10年位運動があってようやく今のようなオンブズマン制度ができました。

スウェーデンは、当事者の子どもにふさわしい環境を作るやり方。必要な人が必要な支援が

あるのが国民性の根底にある。同じ考えは、幸せな国デンマークも同じで、老若男女誰であろうと人を尊重し、必要な人に必要な支援をする。ヨーロッパでは限られた資源を効果的にしていこうと言う考えが根強い。

オーストラリアの放課後児童は、私の時間私たちの場所と言う考えである。

我が子の小学生のとき、6時間も勉強したのに何で放課後まで勉強しなくてはならないのか、自分の時間として好きにさせてほしいと言われたことを思い出した。

子どもにとって、学校とは違う居心地の良い放課後の場所、管理されすぎず自分らしさを出せる安心できる放課後の時間は必要である。その余裕のある時間を過ごしてこそ、自由な発想が生まれ、対応力ある、生きる力がつくのだと思う。大人の都合や便利さではなく、子どもの権利を守り(尊重すること)、子どもの幸せでいることへの視点を見失わないために、日本社会の人権への意識や余裕も必要である。